水辺に祀られる弁才天。そのルーツをたどると、ヒマラヤに源を発する古代の河と、その名を持つ女神サラスヴァティーに行き着きます。
流れるものを司る女神
東京には多くの神社や寺がありますが、私の住む地域にも、徒歩10分圏内にいくつかの寺社があります。中でも、なぜか一番身近に感じているのが抜弁天です。
抜弁天は、その名の付いた交差点の一角にあり、高いビルに囲まれています。決して目立つ存在ではありませんが、そこだけ少し時間の流れが違うような、静かな場所です。交差点を曲がるとき、神社を避けて通ることもできますが、境内を抜けていくこともできます。参拝をして、湧水の池で泳ぐ鯉を眺めながら歩く、ほんの短い道です。

抜弁天は、日本仏教の女神・弁才天を祀っています。弁才天は、水、言葉、知識、音楽など、「流れるもの」を司る神とされています。そう考えると、水のそばに祀られることが多いのも、どこか自然に感じられます。
弁才天を祀る代表的な神社の一つが、広島県宮島の厳島神社です。満潮のとき、朱色の大鳥居が海に半ば沈んで見える光景は、よく知られていますね。

厳島神社は593年に創建され、もともとは海の安全や繁栄を司る宗像三女神を祀っていました。やがて仏教が伝わると、そのうちの一柱・市杵島姫命が弁才天と重ねて考えられるようになります。
新宿の抜弁天は、この厳島神社の分社です。神社の記録によれば、平安時代後期、源義家という武将が、宮島の弁才天の分霊を、江戸と鎌倉を結ぶ古道(鎌倉街道)沿いの丘に祀ったとされています。
当時の東京は、まだ自然が多く残る土地でした。この神社の境内を通ると、丘をぐるりと回らずに南北へ抜けることができたそうです。そこから「抜け弁天」、つまり「通り抜けられる弁才天」と呼ばれるようになったといわれています。今ではその名から、人生の困難を乗り越える力を貸してくれる神としても信仰されています。

ヒンドゥー教にさかのぼる弁財天の起源
日本の弁才天は、神道と仏教が重なり合う中で形作られた神です。その背景には、仏教とヒンドゥー教の長い関わりがあります。
もともと、釈迦の説いた仏教は神を中心とする宗教ではありませんでした。しかし、インドから各地へ広がっていく中で、その土地の文化や信仰と自然に結びつき、さまざまな形へと変わっていきました。
現在の仏教は、大きく上座部仏教、大乗仏教、そして密教に分けられます。上座部仏教は、釈迦の教えに比較的近い形を保っているとされます。
一方、中国や日本、チベットへ伝わった大乗仏教や密教には、ヒンドゥー教の要素も多く取り入れられました。その一つが、言葉・音楽・知識を司る女神サラスヴァティーです。日本では、彼女が弁才天として受け入れられました。


川から女神へ
ヒンドゥー教において、サラスヴァティーは最初から女神だったわけではありません。もともとは、インド北西部を流れていた大きな川の名前でした。
ヒンドゥー教の最も神聖な聖典である『リグ・ヴェーダ』は、数千年にわたって作られた賛歌や詩を集めたものであり、現在の形にまとめられたのは約3500年前です。リグ・ヴェーダには、サラスヴァティーを讃える詩がいくつも残されています。そこでは、彼女は力強く流れる川として描かれています。
「その轟く力の波は、勇猛なる戦士のごとく山の稜線をも打ち砕くサラスヴァティーを呼び奉る。美しく整えられた賛歌と祈りをもって、我らは御身の加護を乞い願う。」(『リグ・ヴェーダ』6.61.2)
また、ヴェーダの讃歌はサラスヴァティー河のほとりで生まれたとされ、ヴェーダ期の人々はそこで暮らし、学び、ヤジュニャ(yajña/यज्ञ)という火の儀礼を行っていました。そうした背景から、サラスヴァティーは次第に、言葉や音楽、知識を司る存在としても考えられるようになります。

残念ながら、サラスヴァティー川は干上がってしまいました。地球科学者たちは、かつてヒマラヤの雪解け水を運ぶ激しい氷河性の大河であったこの川が、ヒマラヤの氷冠の後退とともに弱まっていったと考えています。紀元前9000年から4500年の間のどこかで、サラスヴァティーは氷河性の川ではなくなり、雨水に依存する河川へと変化していき、その後、モンスーンが弱まるにつれて、紀元前2300年から2000年頃までに完全に干上がったとされています。
それでも、言葉や音楽、知識を司る女神としてのサラスヴァティーは、今もなお生き続けています。
日本とインドに共通する多神性
サラスヴァティー以外にも、仏教とともに多くのヒンドゥーの神々が日本に伝わりました。大黒天(マハーカーラ)、梵天(ブラフマー)、吉祥天(ラクシュミー)、歓喜天(ガネーシャ)、帝釈天(インドラ)、毘沙門天(クベーラ)、閻魔王(ヤマ)などです。
これらの神々は、仏教を通して日本に伝わり、やがて神道とも重なり合いながら、日本の信仰の一部になっていきました。弁才天や大黒天を含む七福神は、その分かりやすい例です。

日本とインドは遠く離れた国ですが、どちらも多神的で、さまざまな信仰を受け入れてきました。神道とヒンドゥー教は、一つの原理が多様な神の姿として現れる、という感覚をどこかで共有しています。
新宿の抜弁天厳島神社は、江戸時代に広まった新宿山ノ手七福神巡りの一つです。この巡礼コースには抜弁天に加えて、太宗寺(布袋尊)、稲荷鬼王神社(恵比寿)、永福寺(福禄寿)、法善寺(寿老人)、経王寺(大黒天)、と善國寺(毘沙門天)の寺社が含まれます。
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