インド最大の映画産業であるボリウッドは、過去100年ほどにわたって、インド最大の音楽産業としても機能して来ました。インド人の多くにとって、音楽と言えば「映画音楽」です。もちろん、古典音楽、歌謡曲、民謡など、色んなジャンルがインドにもありますが、映画音楽が圧倒的な人気を誇っています。
この投稿では、インドの映画産業がなぜこれほど音楽と踊りに重点を置いているのか、その歴史的および現代的な理由を探ってみます。
歌で物語る文化
十の頭を持つ魔王ラーヴァナが、アヨーディヤの王子ラーマの愛らしい妻シータを誘拐しました。ラーヴァナは以前にも多くの男性の妻を誘拐していたが、彼の強大な力ゆえに誰も彼に異を唱えることはありませんでした。しかしラーマ王子はラーヴァナと戦い、彼を殺し、自分の妻だけでなくラーヴァナに囚われていた他の女性たちも救出しました。ラーヴァナを倒すことで、ラーマは悪を滅ぼし、道徳を回復し、ヴィシュヌ(神様)の化身として讃えられるようになりました。
紀元前7世紀から5世紀の間に、ラーマ王子の物語が『ラーマーヤナ』という叙事詩に記録され、曲もつけられました。作家「ヴァールミーキ」がラーマーヤナの序章に次のように書いています。
この詩は、朗誦だけではなく、歌としても魅力的で、愛情、慈悲、歓笑、英勇、恐怖、憤怒などの感情を表すべく、弦楽器の伴奏に合わせて3つのテンポと7つのラーガに歌えられます。(『ラーマーヤナ』第1巻、第4章、8-9節)
つまり、古代インドでは歌で物語ることが一般的でした。多くの古代サンスクリット語文献には、「ギータ」(歌)と「サンギータ」(楽器伴奏や踊りを伴う歌)という言葉が見られ、音楽は宗教的な場面でも世俗的な場面でも重要だったことを示しています。宗教音楽は主に儀式や儀礼の一部だったが、世俗音楽は音楽自体を楽しむため及びストーリーテリングのために用いられていました。
舞踊と演劇の曖昧な境界
物語は歌だけではなく、踊りも伴うことが多く、これは演劇の発展につながりました。踊りを意味する「ナーティヤ(नाट्य)」という言葉は、演技や身振りも意味し、インドの古典舞踊は演劇と深くつながっていることを見せています。今でも、インドの古典舞踊のほとんどが身振りや表情を通じたストーリーテリングが本質です。
紀元前200年から西暦200年の間に書かれたとされるバラタの『ナーティヤ・シャーストラ(नाट्य शास्त्र)』は、演劇のあらゆる側面を網羅した百科事典的な著作で、音楽や舞踊の細かな分析はもちろん、それ以外にも、例えば、「劇場の構造」、「音響や視認性」、「衣装やメイクアップ」、「劇の種類」、「演技の理論と実践」、「発声」などについての章を含んでいます。
このような包括的な論文の存在自体は、当時から演劇がインドの社会生活にいかに重要だったかを示していると思います。演劇は娯楽と教育、両方の目的を果たしていました。劇は歴史的または神話的な文献に基づくことが多く、道徳的教訓を伴っていました。
マイクや映画スクリーン等のテクノロジーがなかった時代には、音楽と身振りを伴う踊りが大勢の観客にストーリーを届ける最も効果的な手段だったため、インドにおける音楽や舞踊は独自の洗練された分野として進化するとともに、演劇の一部としても何千年にもわたり発展を遂げて来ました。
演劇の延長としての映画
インド初の長編映画『ラージャ・ハリシュチャンドラ』は1913年に公開されましたが、サイレント映画で、物語を伝えるのに生演奏の音楽を伴っていました。有声映画が登場した後も、長い間、映画は古来の演劇伝統の延長線でした。
演劇世界の役者、歌手、ミュージシャン、ダンサー、制作陣等全てが映画産業に組み込まれ、演劇のバックグラウンドを持っていました。そのため、初期のインド映画には演劇的な要素が強かったです。
上記のダンスシーンは、仏陀の時代に生きていた有名な宮廷舞踊家 「アムラパーリー」を題材にした1966年の映画『アムラパーリー』からです。アムラパーリーを演じた女優ヴィジャヤンティマーラーは、実際インド古典舞踊家でもありました。映像のシーンでは、アムラパーリーが踊るよう求められているが、恋人を待っていて彼が遅れていることに気を取られています。恋人が到着すると元気を取り戻します。彼女の踊りは心配と喜びの対照的な感情を表現豊かに伝えていますし、歌詞がついている部分には身振りで歌詞の意味も伝えています。古代インド劇の音楽と舞踊による演技はまさにこのようなものでした。
インド映画独特の吹き替え歌唱文化もまた、古代の演劇伝統の延長です。音響増幅技術がなかった昔は、後ろの観客まで台詞を届ける最良の方法は歌でした。そのため、音楽は演劇の重要な部分であり、ストーリーは雰囲気や感情に合わせて、様々な「ラーガ」に設定された歌によって伝えられました。しかし、歌手は他のミュージシャンと共に舞台裏に座り、ダンサーが歌に合わせてリップシンクしながら、踊りと身振りで物語を視覚的に表現するという構成になっていました。
この形式は映画産業にも取り入れられ、プレイバック・シンギングというインド独自の音楽サブジャンルを生み出しました。例えば、『アムラパーリー』(上)の女優はヴィジャヤンティマーラーで、『ウムラオ・ジャーン』(下)の女優はレーカーですが、曲の歌手はそれぞれラタ・マンゲシュカルとアーシャー・ボースレーです。
『アムラパーリー』は古代の宮廷舞踊家を題材にしているため、ダンスシーンは適していますし、歌は時には感情のニュアンスを表現するのに言葉より効果的だと思いますが、すべての映画に歌と踊りを入れる必要はあるでしょうか?なぜ今でもインド映画のほとんどがミュージカルでしょうか?
資源活用
今でもある程度そうかもしれませんが、昔は女性にとって映画での仕事は社会的にあまり尊敬されませんでした。そのため、映画製作者は舞台に慣れている古典舞踊家を女優として求めることが多かったです。そこで、女優さんの古典舞踊家としての才能を無駄にするのはもったいなく思われ、物語にダンスシーンを組み込むことで、女優の古典舞踊の芸を披露していたと思います。
その例として、1993年の映画『ダーミニー』があります。この映画は、気の強い女性の正義のための闘いという重いストーリーになっていますが、ダンスシーンは、彼女の絶望的な瞬間の怒りと神様への祈りを表現しています。
女優ミーナクシー・シェシャドリーは、強い女性を演じることで知られていますが、男性中心のインド映画も多く、場合によっては主演女優が男性主人公の恋愛相手以上の役割がないこともあります。そのような場合、女優が登場するほとんどのシーンが歌や踊りになっていることもあります。
観客の希望への対応
インド映画の上映時間は長いです。今は短めの映画も出ていますが、昔は3時間前後が普通でした。娯楽の手段があまりなかった昔は、週末に家族で3時間の娯楽を期待して映画を見に行く人が多かったのです。しかし、ほとんどの映画には3時間も引き伸ばせるほどのストーリーはありません。
そこで映画製作者が歌や踊りで上映時間を延ばし、「マサラ映画」というジャンルを生み出しました。マサラ映画(マサラはスパイスのブレンドを意味する)はバラエティ番組に例えられると思います。ちょっとしたロマンスに少しコメディ、数曲の歌やダンスシーン、印象的な台詞、必須のアクションシーン、そしてハッピーエンドを加えれば、家族全員でしっかり3時間楽しめるエンターテインメントが完成するのです。
マサラ映画の概念が広く受け入れられ、映画製作者の多くは歌とダンスシーンをストーリーに合わせる理由も探さなくなりました。また、映画のストーリーと全く関係のない派手でセクシーな「アイテムソング」という特別なジャンルまで生まれました。
映画製作者にとっての利点
映画製作者にとっても、ミュージカルの利点がいくつかあります。例えば、映画自体の興行成績が振るわなくても、歌が大ヒットすれば音楽の販売で利益を上げることが出来ます。1998年の映画『ジーンズ』の大ヒット曲「カンノードゥ・カンバテラム」がそうです。
もう一つの利点は、歌が映画の広告として機能することです。1980年代と90年代には、映画の歌を紹介する人気の週間テレビ番組がありました。子供の頃、歌を見て映画に興味を持った記憶があります。歌は映画のストーリーの一部を垣間見せるティーザーとして機能するからです。
最近YouTubeや他のプラットフォームで映画の公開前にその歌がリリースされ、非常に効果的なPRが実践されています。2022年の映画『カンターラ』のこの歌を見ると、映画がどんなものか気になりませんか?
共生関係
このように、音楽と踊りはインド映画産業において多くの有用な機能を持ち、映画産業はインドの音楽や踊りの文化を反映するだけではなく、形作っていくという大事な役割も果たしています。その共生関係は否定しがたいですね。
私は自分の好みで、この投稿に使う例として古典音楽の特徴を持つ曲を多く選びましたが、映画音楽のほとんどが歌謡曲であり、古典音楽ではないことを付け加えておきます。映画がインドの古典演劇を引き継いだ当初、音楽と舞踊はより古典的な特徴を持っていましたが、時間とともに映画産業が古典演劇から離れ、音楽とダンスも変わって行きました。
映画音楽が非常に多様で、観客の好みを反映しています。
[参考:日本で見れる(日本語字幕付きや吹替版のある)インド映画やドラマのレビューとリンク]
各年代の人気ボリウッド曲の例
Ye Raat Ye Chandni Phir Kahan : 1952年映画『ジャール』の曲、ヘマント・クマール歌唱
AAO HUZOOR TUMKO : 1968年映画『キスマット』の曲、アシャ・ボースレ歌唱
Chura Liya Hai Tumne Jo Dil Ko : 1973年映画『ヤードン・キ・バーラート』の曲、アシャ・ボースレ&モハメド・ラフィ歌唱
Hothon Se Chhulo Tum : 1981年映画『プレム・ギート』の曲、ジャグジット・シン歌唱
Mukkala Mukkabala : 1994年映画『カダラン』の曲、マノ&スワルナラタ歌唱
Chalo Tumko Lekar Chale : 2003年映画『ジスム』の曲、シュレヤ・ゴーシャル歌唱
Tum Hi Ho : 2013年映画『アシュキ2』の曲、アリジット・シン歌唱
Kala Chasma : 2016年映画『バール・バール・デコ』の曲、アマル・アルシ、バッドシャー、ネハ・カッカール歌唱
Naatu Naatu : 2022年映画『RRR』の曲、ラーフル・シプリグンジ&カーラ・バイラヴァ歌唱
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