昨日、2025年9月22日から、インドでナヴァラートリが始まりました。ナヴァラートリ(「九つの夜」の意味)は、インド全土で9泊10日にわたり祝われます。この9夜は善と悪の戦いの夜であり、10日目のヴィジャヤダシャミは善が悪を打ち負かす勝利の日です。
ナヴァラートリは主に女神崇拝の祭りであり、インド亜大陸全体で女神崇拝が広まった少なくとも紀元初頭にまで遡ると思われまています。
ヒンドゥー教では、女神はそのすべての側面で崇拝されます。サラスヴァティは知恵と学問の女神、ラクシュミは繁栄と豊穣の女神、パールヴァティは神聖な母、ドゥルガーは子らを危険から守る母なる女神です。
『デヴィー・マハートミャ』や『デヴィー・バーガヴァタ・プラーナ』などの聖典には、ドゥルガーが9日9晩にわたる激しい戦いの末、魔王マヒシャースラを倒した物語が描かれています。10日目にマヒシャースラはついに倒され、道徳が回復されました。
ドゥルガーがマヒシャースラを倒した物語
マヒシャースラは悪でありながら非常に強力で野心的な存在でした。彼は厳しい修行によって無敵の恩恵を得て、神々と戦い、宇宙の秩序を破壊し、恐怖と悪の支配をもたらしました。
マヒシャースラの恐ろしさは、その変身能力にありました。彼は水牛(力強さ、回復力、混沌を象徴)、ライオン(敏捷性と速さを象徴)、ゾウ(巨大さと力強さを象徴)、人間の戦士(知性、戦略的思考、武器の技術を象徴)など、状況に応じて自由に姿を変えました。
マヒシャースラはまた、恐ろしい悪魔たちを含む大軍を率いていました。その中には、地上に落とされた血の一滴ごとに自分のクローンを生み出す能力を持つラクタビージャという悪魔もいました。これにより無限の悪魔の軍が生み出されていました。
神々は途方に暮れました。インドラ、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァなど、強力な神々も個々ではマヒシャースラとその軍を倒せませんでした。そこで、彼らはすべての神々の力(シャクティ)を結集し、女神ドゥルガーを生み出しました。
すべての神々の力が結集して現れたのは、女神だったことは面白いですね。おそらく、男性が競争心に駆られやすいのに対し、女性が人々をまとめる力に優れていることを示しているのかもしれません。神々を一つに結びつけ、共通の目的のために協力させるには、女神の存在が必要だったのです。
ドゥルガーは多くの腕を持ち、それぞれ異なる武器を手にしています。シヴァの三叉矛(トリシューラ)、ヴィシュヌの円盤(スダルシャナ・チャクラ)、インドラの雷霆(ヴァジュラ)、剣、槍、棍棒などです。そして彼女の乗り物は宇宙の法、義、勇気、力、獰猛さを象徴するライオンです。

9日間、ドゥルガーはマヒシャースラとその軍と戦い、彼のさまざまな側面を倒すために異なる姿で現れます。10日目にマヒシャースラが水牛の姿になったとき、ドゥルガーはついに彼を足で押さえつけ、首をはね、宇宙の秩序を回復しました。
女神カーリーとその象徴
物語の重要なサイドストーリーは、血の一滴が地面に落ちるごとに無数のクローンを生み出す悪魔ラクタビージャの敗北です。ラクタビージャに圧倒され激怒したドゥルガーは、恐ろしい女神カーリーとして現れました。カーリーは暗い肌、乱れた髪、頭蓋骨の首飾り、突き出した舌を持つ姿です。
カーリーは、ラクタビージャの血を地面に落ちる前に飲み干し、彼ののクローンを食らい、新しい悪魔が生まれるのを防ぎ、最終的に彼を倒すことを可能にしました。

しかし、ラクタビージャを倒した後のカーリーの血への渇望と破壊的なエネルギーは制御不能になりました。彼女を鎮めるため、シヴァ神は戦場に横たわり、カーリーの進路を塞ぎました。シヴァを踏んだ瞬間、カーリーが落ち着き、正気を取り戻しました。
カーリーは偉大な力が善のために活用できる一方で、制御不能で破壊的になる可能性があり、その扱いは節度と安定を要することを象徴していると思います。
少女の崇拝
カニャー・プージャー、つまり思春期前の少女(カニャー)を女神の生きた現れとして崇拝することは、インド全土のナヴァラートリのお祝いで一般的な特徴です。
華やかに着飾った近所の少女たちが各家庭に招かれ、特別に用意された料理、菓子、贈り物が振る舞われます。カニャー・プージャーでは、たんぱく質が豊富な豆料理が女神とその生きた現れである少女達への供物として欠かせません。

ナヴァラートリのお祝いの地域ごとの違い
ドゥルガー・プージャー
東インドでは、ナヴァラートリはドゥルガー・プージャーとして祝われます。各近隣に、ドゥルガーのさまざまな姿と関連する物語を表現した巨大な粘土の偶像を収める、華やかに装飾されたパンダル(仮設構造物)が建てられます。祭りでは、華やかなパレード、伝統的な音楽やダンス、『デヴィー・マハートミャ』の朗誦、果物、花、菓子の供物が特徴です。

祭りは10日目のヴィジャヤダシャミに、粘土の偶像を川に浸す感動的な儀式で締めくくられ、ドゥルガーの神聖な世界への帰還と、人生の無常さを象徴します。
ゴル
南インドでは、ナヴァラートリはゴルで祝われます。ゴルは、神々、賢者、神話上の人物、普通の人々、動物、鳥などを、階層的に並べた人形の段飾りです。人形は粘土、木、その他の天然素材で作られ、奇数の段(通常3、5、7、または9段)に配置されます。奇数は不完全性または動きを象徴するとされ、女神のダイナミックで変革的な力を象徴すると思われます。

近隣の少女たちは夕方に集まり、ゴルの展示を鑑賞し、風味豊かな豆料理の「スンダル」を食べるために色んな家庭を訪れます。9日間、毎日異なる豆が調理されます。
少女たちは家の人々に促されて歌やダンスの才能を披露し、アクセサリーや小物のプレゼントを手に、温かく見送られて家に帰ります。
ガルバ
西インド、特にグジャラート州では、ナヴァラートリは「ガルバ」や「ダンディヤ」の華やかな民俗舞踊で祝われ、毎晩、女神ドゥルガーを『アンバー』(母)として称える舞いが繰り広げられます。ガルバはサンスクリット語の『ガルバ』(子宮)に由来し、生命と創造を司る女神の神聖な力を象徴します。男女ともに円を描いて中心のドゥルガー像や灯された粘土ランプの周りを踊り、宇宙の調和と母なる女神の子宮であるこの世界を体現します。

ガルバはナヴァラートリの9夜の間行われ、各夜は女神の特定の側面を称え、踊りが始まる前にドゥルガーの祝福を求めるアーラティー(光の儀式)が行われます。
ダシェーラー
北インドでは、ナヴァラートリ(女神崇拝)は、アヨーディヤの王子ラーマとランカの十の頭を持つ魔王ラーヴァナとの戦いを記念する「ダシェーラー」と共に祝われます。ラーヴァナはラーマの妻シータや他の多くの女性を誘拐し、ラーマは彼と戦い、最終的に勝利して妻と他の女性を救出しました。ラーマのラーヴァナに対する勝利(つまり善の悪に対する勝利)はヴィジャヤダシャミ(勝利の日)として祝われます。
『ラーマーヤナ』は元々紀元前7世紀頃に賢者「ヴァールミーキ」によってサンスクリットで作成されましたが、16世紀に「トゥルシダース」による大人気の地方語翻案が作成された後、北インドではナヴァラートリの一部としてラーマのラーヴァナに対する勝利の祝祭も広く行われるようになりました。
ナヴァラートリの9夜の間、ラーマの人生を演じる「ラームリーラ」劇が町や村の野外ステージで上演され、10日目にはラーヴァナの巨大な人形を焼く壮大な「ラーヴァン・ダハン」(ラーヴァナの焼却)が花火と祝賀と共に悪の破壊を象徴して行われます。

歴史的には収穫前の断食期間?
今回紹介したのは秋のナヴァラートリですが、ナヴァラートリは実際一年に4回も訪れます。
インド全土で盛大に祝われ、若いインド人にとって最も親しみ深いのは秋のナヴァラートリかもしれませんが、春のナヴァラートリも国の多くの地域で広く行われます。また、一部では冬や夏のナヴァラートリも観察されますが、これらは比較的マイナーです。
ナヴァラートリの共通の特徴は部分的な断食です。多くの人は肉類、刺激の強い食べ物、残り物を避け、ナヴァラートリ期間中は新鮮で消化しやすい『サートヴィック』(純粋な)食品に限定します。これは季節の変わり目に免疫力を高め、健康を保つためと考える人もいます。
しかし、ナヴァラートリの断食のもう一つの特徴は、米や小麦などの主食穀物を避け、代わりに根菜、豆類、果物を食べることです。これは、秋と春のナヴァラートリが主な収穫期の直前に訪れることと関係しているのかもしれません。
元々、穀物の備蓄が乏しくなる収穫前の時期に断食が行われていた可能性があります。リグヴェーダ(紀元前1500年以前の古代聖典)にも、作物の成長期の終わりに関連する儀式が記載されており、根菜や豆類などの非穀物食品の供物としての使用について語られています。
先に触れたカニャー・プージャーでは、少女たちにたんぱく質が豊富な豆料理を提供することで、収穫前の乏しい時期にも社会の最も弱い少女たちが栄養とケアを受けられるようにしているのかもしれません。
春と秋のナヴァラートリに続き、収穫後の豊穣の祭りが訪れます。『ディワリ』は秋のナヴァラートリの約2週間後に祝われ、ヒンドゥー教の新年は春のナヴァラートリの1週間ほど後に迎えられます。両方ともインド全土で豊穣の祭りとして盛大に祝われます。
ゴルは雛祭りに似ていませんか?
直接な歴史的つながりはまだ見つかっていないと思いますが、日本の雛祭りは南インドのゴルと驚くほど似ていませんか?
少女たちの健やかな成長と幸せを願い、色鮮やかな雛人形を奇数の段に飾る伝統は雛祭りもゴルも一緒ですね。

日本が1873年にグレゴリオ暦に移行した後、雛祭りは3月3日に固定されましたが、かつて太陰太陽暦が使われていた時代、雛祭りはその3番目の月の3日目(グレゴリオ暦で4月初旬頃)に当たりましたので、その時期も春のナヴァラートリとほぼ重なっているように思います。
日本とインドの関係は以外と深いかもしれませんね。
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